どうもgenki(@genki6639)です。
小中学校での過ごし方はどうでしたか?僕は正直に言いますと「いじめ」にあっていました。冒頭でいきなりの爆弾発言ですが、こういうタイトルにしたのもこの「いじめ」も関連しています。
タイトルの通り小中学校の人間関係はいらないと言っていますが、その通りだとちょっとは成長した今でも思います。

当時の自分
小中学校で人間関係を築くなとは言っていません。
僕が言いたいのは自分が当時感じた現状をそのまま言っているだけですので、共感しない人はいるでしょう。
ですが、当時はひどかったです。言ってしまえば小中学校の人間関係なんざ近くの家に住んでいるだけでそれがくっついた枠組みの中でしかないものですよね。
なぜひどかったか?
まず冒頭で言いました「いじめ」について話しましょうか。
小学校
小学校での暮らしは普通だったと思います。家庭環境もさほど周りと変わらない感じでしたが、強いて言うなら親がうざかったという感情を幼いながらも思っていたことでしょうか。
これについては後に話します。
そして、小学校に行くまでは不安で恐怖そのものでした。この感情は誰しも思う事でしょう。
今まで行ったことのない場所は誰しも不安が襲い掛かってくるのは人並みの感情を持っている証拠でもあります。
小学校に向かっていくときはグループで行くことがルールでした。たぶん今でも変わらないシステムですよね。はぐれないため、安全に行動するためといった理由がありましたがこれが「いじめ」の原因の1つだと思っております。
グループ(小学校)
学校でも「グループ」という枠組みはどの学校に行ってもあることです。これは絶対といっても過言ではない。
大学でも高校でも必ず生じる現象。それは生物であることであり人間本来の本能的な行動ですので「グループ」であることは否定するつもりはありません。
ですが、時にはこの「グループ」のせいでいじめが生じる可能性があります。筆者もそれを体験して最悪な1日をずっと過ごしていました。
小学校ではグループ活動が多くみられる授業や活動がありましたが、必ずしも仲のいい人ばかりでなく嫌な奴つまりいじめをする輩は必ずいます。
まず1番目にあったいじめは休み時間(自由時間)での出来事です。4時間目の後にある時間ですかね?
うちの○○小学校では休み時間は必ず外に出て遊ばないといけなくて、外に出ないで遊ばない人は体調不良・障害者であるものでしか学校の中で読書などをしてはならないというクソシステムでした。
僕自身は読書が好きで本当は外に出ないで読書がしたいのですが先生が許可してくれませんし、独裁国家にいるような感覚でした。
外に出て元気な子供たちが育みられるような活動の元このようなシステムにしたのでしょうが、これついては反対です。むしろ外に出て知識を育められるのかと疑問になるのです。
「子供は元気に遊ぶものだ」と固執観念に囚われている考え方なのでしょう。よく見たら校長先生もお年を召されていたので仕方がな…いわけがねぇよ!!!
これのせいでどのような目にあったかわかんないくせにいつも高見の見物で校長室から校庭を見やがってなにを言ってるんだっての!
休み時間(小学校)
外に出ないといけないですから、仕方がなくグループに入って活動しないと「はずれもの」となってしまうので、サッカーに参加するように頑張っていました。
最初は良かったです。最初はね?
月日が経つにつれ小学3・4年生辺りから「はずれもの」になったのです。まったく意味が分からんなにもしてないのにはずれものにされたのです。
強いて言うなら自分は少し無口で外に出て友達と遊ぶことが嫌いでしたので、それが原因だと思います。まぁ…それでもひどい理由ですけどね。
そこからはずれものにされ、サッカーに入りたくても入れないので傍観するかどこかでボーっと座っているとかしてないといけないのです。
ある奴が原因でしたのですが、自分のバッグを蹴られたり落としたバッグも蹴るしさ、実家に数10人で押しかけてきて遊ぼうぜぇとかヤンキーみたいな野郎もいましたね。
馬鹿にされたり暴言だったり流石に過激な暴行まで無かったのは不幸中の幸いでしたが、陰悪だったのは確実ですがね。
色んな出来事がありましたが、我慢していました。その時の気持ちと言ったら最悪そのもの学校なんて行きたくもありませんでしたよ。
よく行ってたよ…まじであの時の自分を尊敬します。
もちろん学校の先生にも言いましたが対応力がゼロ野郎ですので使い物にならず、親に相談しても打開策はなくそのまま…。
学校の先生が大変なのもわかります。ですが、生徒がいじめにあって可哀想なことなのにも関わらずなにもしないのはどうかと…先生が行動しても変わらないですけどね。
むしろ悪化する場合があるので逆に先生には告白しないほうが良い場合もあります。
親は僕の人間関係には表面上の出来事でしか深く知っていないです。別に親のせいにしているわけではないですが、この運命は望んでいなかったですけどね。
中学校
そんな最悪な日々の繰り返しが続いた小学校時代から長い日々の終点が迎えようとしていました。やっと中学校に上がれることでいじめが少なくなるであろう少しながらの希望を抱きながら入学。
確かにいじめは少なくなりましたし、小学校よりかはましでした。
中学校でもクソなシステムがありました。それは…部活動です。なぜと思う人もいるでしょうけど、部活動って強制なんですよ(無理矢理抜けて帰宅部みたいなこともできるがイメージと共に成績があやふやになる場合がある)
なぜ強制にするんだよ!って思いながらも剣道部に入ることにしました。チーム戦が嫌いで大多数でやるスポーツは嫌いだったので(小学校で経験)剣道にしましたが、チーム戦が密かにあることも知らず…。
「えっ!?親は教えてくれなかったの?」ええ…教えてくれませんでしたし、うちの親は子供に関しては無関心だと感じました。親は「え~!?そうじゃないよ!愛情があってorz」とかいうでしょうね。もう分かりますよ考えること…。
愛情とは学費を払う事ですか?一緒にいることですか?
愛情の感じ方は人それぞれで曖昧な部分ですが、僕はもう少し関心である親が良かったなぁ…まぁ今思っても意味ないけど、一度親父と喧嘩してからは嫌いになったし今でも嫌いですよ。
そんなこんなで中学時代は始まりましたね。
休み時間(中学校)
まぁ…そこそこ面白かったですよ。これ言うと中学時代に遊んでた人に言われそう、でも小学校よりはちょーーーぜつマシ!!
この中学校のいい所は外に出なくてもいいし、外に出て遊んでもいいよ~みたいな自由型でしたので、読書できます。他の友達とお話だけでもいいのです。
いやぁ…最高!
中学2年生からは友達も増えていき良いやつらばっかりで、小学校とは大違いでした。
部活動
部活動は最初はよかったのですが、先生が生理的に嫌いでした。厳しいといったら厳しいですが、強豪校ほど厳しくないですが、剣道はつまらなくて中学3年生からは辞めていました。
部活動は強制でなくクラブ活動といった名前にして自由にすべきと思います。入って意味がある人は入っていいですし、入らない人は入らないでいいですよ。
クラブにして教師を講師するのでなく別の所からひっぱり出すとかにすべき。
いじめは多少はありました。でも小学校ほどひどくはなかったですので、無視してました。
親の在り方
いきなりですが、親ってどうあるべきだと思います?人間関係とは結ばないでしょうけど、親の在り方次第で変わる術があるのです。
個人的な意見で申し訳ないのですが、「親とは教える立場であり子供に関心を持つべき」考えております。
「親にもなってもないのに戯言いってんじゃねぇよ!」「は?ふざけんなそんな訳あるかボケ!」といった反論があるでしょうが、親の在り方は人それぞれであり、それぞれに良さがあるのも分かります。
ですが、子供の良き未来を期待して産んだり育てているのは事実で共通のはずです。
そう考えますと、子供ってまだ幼くて世間を知らない無邪気な子供ですよね?知らないことに関心を持つことはいいことです。
子供は話を聞いてほしいのです。僕自身はそうでした、親に話を聞いてほしいのです。ですが、聞いてもらえなかった部分は多かったですね。多忙で聞けなかったのではないです。
むしろ先ほど言ったように無関心であったように見えていました。違う話になりますが、僕が幼いときは弟と喧嘩するときが多くてよく衝突していました。
その時の親の対応を良く覚えています。僕ばかりにしか責任が向かってこないのです。
「いやお前が弟を傷つけているからだろ」「兄としての尊厳だから仕方がない」そう思うでしょうか?
理想としてはまず理由を聞く、聞いてからどっちが悪いかと考えるのでなく、中立的な存在でいること。そして、なぜこうなってしまったのか論理的に解釈させるこれができなくとも善悪をつけるべきではないと考えています。
善悪をつけると必ず嫌な方向へ行ってしまうのです。これになぜ気づけない!?大人でしょ?少なくとも子供よりは生きてきたのだから知っている事は多いはずなのに…。
確かに時に叱るのはしょうがない…ですがいつもいつも叱ってばかり責めてばかりだと子供は悲しくなりますし、いい方向の人生へ進めないような気がします。
そんなことがあっても立ち直れる人もいます。僕もその一部の人です(自分で言うのもなんだけど)非行に走ってしまったら直すのに時間がかかるはずです。そうならない為に教育するのですよ!なに?学校の役目!?何言ってんだよ
親として子供を世話することが親の役目なのですか!?違うでしょ?同時に教える立場にもなっているのですよ。
yahoo知恵袋でとても興味深い言葉がありました。
大人とは子供に憧れを持たせるもの
少し引用文とは違うニュアンスだと思いますが、素敵な言葉です。これを親に置き換えてもらってもかまいません。
こうあるべきと押し付けるのは良くないので強くはいいませんけど、このような親が少しずつでも増えてほしいものですがね。
まとめ
小中学校の人間関係を否定しているのでなく「価値ある人物を探せ」といったニュアンスで話しているのです。
小中学校の人間関係で大切な人を見つけたのであればそれはそれでいいと思います。それはあなたとって価値ある人物に会えたのですから良いことです。大事にしましょう。
僕は小中学校の人間関係では価値ある人物はそんなにいませんでした。2人ぐらいかな…たぶん(笑)
必死に小中学校で大切な人は見つけなくてもいいのです。人生は長いストーリーなのでそのうち見つかりますよ。
あなたたちにはまだまだストーリーがあるではないですか!?その先に待つ人物にあうだけなのですよ。
大学生でも高校生でもそうです。先は長いのですから、ゆったりいきましょうや。
少しでもあなたの助けになれたらこの記事を書く意味もあるでしょう。良き人生に乾杯!
ではっ。
http://yuruwork.com/2017/10/16/%E9%AB%98%E6%A0%A1%E7%94%9F%E5%BF%85%E8%A6%8B%EF%BC%81f%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E8%A1%8C%E3%81%8F%E6%84%8F%E5%91%B3%E3%81%82%E3%82%8B%EF%BC%9F%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%AE%9F%E6%85%8B/